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5月, 2020の投稿を表示しています

世界の自殺率と気候的気温:厳しい気候が自殺率を高める?

世界の自殺率と気候的気温(Global Suicide Rates and Climatic Temperature)という 論文 [1]を公開しました。各国の自殺率は経済的な要因等で変動するものの、どの国にも比較的安定した固有の値がある。デュルケムが社会学を確立する際に自殺の問題を取り上げたのも、自殺率が統計的に安定した現象であるためです[2]。各国の自殺率の大小を生み出す主な要因は、十分に理解されていません。金銭的には豊であっても自殺率の高い国もあり、例えば、幸福度ランキングでも上位を占める北欧諸国の自殺率は高く、社会的な問題として認識されています。一体何が、世界各国の自殺率に違いを生み出しているのでしょうか。厳しい気候が、一つの重大な要因である可能性を本論文では指摘しています。  図1は、各国の自殺率(人口10万人当たりの自殺者数)を縦軸、その国の年平均気温を横軸にプロットした結果です。自殺率は世界保健機構(WHO)が公開している、世界183ヵ国の数年分の値の平均値を使用しています。全体的な傾向として、各国の自殺率は年平均気温に対してU字型となり、自殺率と年平均気温に相関がある事が分かります。自殺率と年平均気温との相関は低温側の国々においてはより顕著であり、世界の高温側においても年平均気温が約25℃を超える国々で高い自殺率が観測されます。また、気候学的及び地理学的に特徴のある乾燥地帯や島国を除けば、自殺率と気候的気温の関係はより明確になる(図2)。 図1(※1) 図2  従来の研究では、世界の自殺率の差は主に社会経済的な要因と共に分析が進められてきました。ある特定の国の自殺率の経年的な変動は、経済危機などの社会経済的な要因である程度は説明が可能です。しかし、RehkopfとBuka[3]がレビューで明らかにしているように、自殺率と社会経済的要因との関係性は時系列よりも地域間の分析では不明瞭なものとなり、その空間的スケールを拡大していくほど、明確な関係性は観測されなくなる。図3は、各国の自殺率を縦軸、その国の一人当たりのGDPを横軸にプロットした結果です。各国の自殺率が一人当たりのGDPのみでは説明し難い現象である事が分ります。国家間の横断的分析において、自殺率と一人当たりGDPとの間に明確な関係性が観測されない事実は、ポジティ

経験、点と点と繋ぐもの-意識は脳の機能か?

繰り返すけど、将来を予め見据えて点と点を結びつける事は出来ない。可能であるのは、後からそれらを繋ぎ合わせることだけだ。だから、僕等は経験というものは未来の何処かで実を結ぶと信じる必要がある。宿命、運命、人生、カルマ、何であれ、僕等はその事を信じなくちゃならない。僕はこのやり方で一度も後悔したことはないし、僕の人生における前進の全部がそうした態度のおかげだと思っている。 スティーブ・ジョブズ(2005)  冒頭で引用した、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチがある。そのスピーチの中で彼は「点と点を繋ぐこと」の重要性について述べている。ジョブズは人生でやりたい事を模索する中で、大学を止める決断をした。卒業に必要な科目を履修する必要が無くなったため、彼は純粋な興味から大学の講義に潜る。その際に出会ったものの一つがカリグラフィー(西洋や中東で発達してきた文字を美しく見せる技術)であった。当時、何か直接的な目的があってその講義を受けたわけではなく、単に好奇心と直観に従っての事であった言う。しかし、その事が後に彼がパーソナル・コンピュータであるマックを世に送り出す際、これに美しいフォントを搭載させる事に繋がった。もし彼が、大学を止めてカリグラフィーの講義を受けていなかったなら、美しいフォントを備えたコンピュータが誕生したのはずっと後の事であったに違いない。経験というものは、未来のどこかで人生に繋がるものだ。ある経験の意味は、後で振り返ってみる事でしか分からない。経験に対してそうした信念を持つことは、今・ここの経験を自分の直観を信じて選択するための力になると、若い世代に向けてメッセージを送っている。  「点と点を繋ぐこと」。創造という行為に情熱を捧げたジョブズのこのメッセージは、僕にとって人生の一つの指針であると共に、経験というものの本質を象徴する話であるとも思っている。哲学の話になるけど、「環境」も主体が不可欠であるという点では経験に外ならないものだから、環境工学者のこのブログでも書いて置きたいと思う。  経験とは何か、これは人類が問い続けてきた最も難しい問題であると言える。古代ギリシャの哲学者デモクリトスが、「表面上は色がある、表面上は甘味がある、表面上はにが味がある、しかし実のところ原子と空虚あるのみ」と表現した通り、目の

深夜の魅力-暗さが創造性を促進する?

創造性は暗闇から始まる、人生がそうであるように。 ジュリア・キャメロン(1992)  生活リズムは規則正しいに越したことはないけど、深夜に本を読んだり、考え事をする時間には何とも言えない魅力がある。そうした夜の魅力の理由の一つは、おそらく体内のリズムに由来します。身体には「サーカディアン・リズム(概日リズム)」と呼ばれる24時間周期のリズムがありますが、夜が深まるにつれて、覚醒を促すホルモンであるセロトニンが抑制されて、リラックス効果のあるメラトニンの分泌量が増えていく。夜に落ち着いた気分で過ごしやすいのは、体内のリズムのおかげでもあるわけです。  サーカディアン・リズムは、光によって、外の環境の周期との同調が行われる。眼の網膜にある「メラノプシン」が強い光を受けると、その刺激が脳の視交叉上核(SCN)にある体内の中枢時計へと伝わり、体が覚醒のモードに入る。だから僕は朝起きたら、体に自然と活動を促すためによく窓の外の空をぼーっと眺めます。  ヒトは強い光の環境下ではより覚醒した状態となり、メラトニンの分泌も抑制されます。覚醒状態の方が生産性は高まります、オフィスなどが一般に明るいのはそのためです。スーパーやコンビニの照明が明るいのも、その方が購買意欲が刺激されるからです。ただし、近年では、「暗さ」が持つ可能性が少しずつ注目され始めています。単純な知的活動は明るい環境下の方が成績が良くなる傾向がありますが、ヒラメキを要するある種の創造的な課題の場合では「暗い」環境の方が成績が良くなるようです[2]。  その理由は、リラックスしている時の方が、想い出すことや連想といったより探索的な知的活動が活性化するためだと考えられています。暗い環境では意識がより内側の世界へと向かう傾向がある、暗さが創造性を促すのはそうした理由によるのでしょう。バーやカフェなどで暗い照明が好まれるのも、リラックスした柔軟な思考がコミュニケーションにとっては重要だからなのかもしれません。ただし、暗い環境だと社会的制約からも自由になって、ヒトはルールを破りやすくなる傾向もあるようです[3]。光環境は人の振る舞い方にも影響を与えるのですね。  ですから、どうせなら夜更かしをするのなら、部屋の照明を少し暗くした方が夜の魅力を味わうことが出来るのかもしれません。ただし、サーカディアン

遠くを見るということ-人生の意味とフロー

 生命の歴史には「カンブリア爆発」と呼ばれる、生命の形態が爆発的に多様化した一時期があります。スティーヴン・ジェイ・グールドの『ワンダフル・ライフ』[1]で有名になったカンブリア爆発は、5億3000万年から5億4200万年前の間の出来事だそうで、この時期に、サンゴや貝類、三葉虫やアノマノカリスなど、複雑な体を持った動物たちが突如として地球上に現れる。こうした高度な多細胞生物の化石は、カンブリア紀以前の地層からは殆ど発見されないという。カンブリア爆発を引き起こした要因については、様々な仮説が提唱されていますが、近年、アンドリュー・パーカーという学者が「光スイッチ仮説」と彼が呼ぶ、カンブリア爆発が眼の誕生によって引き起こされたとする仮説を提唱しています。僕自身はパーカーの著作『眼の誕生-カンブリア紀大進化の謎を解く』[2]を読んで初めてこの仮説を知りましたが、とても刺激的でした。視覚を持たない動物たちにとって、生きることは文字通り暗中模索なものであるに違いありませんが、遠くにある餌を見る力を与えてくれる眼は、動物の生活様式をより能動的なものに変える。眼の誕生が動物の世界に光を灯し、生物界の生存競争のゲームの様相が一変し、急激な自然淘汰の圧力が生じた。それがカンブリア爆発の実態であり、眼の誕生は生命史におけるいわば夜明けであったのだとパーカーは言います。あまりに精巧な器官であるため、進化論の難題であるとダーウィンを悩ませた動物の眼[3]。フランシス・クリックも「カンブリア紀の生物大進化が、眼の誕生によって引き起こされたことは尤もらしい」とパーカーの仮説を支持しました。  脊椎動物の形態の進化の系譜を眺めていると、動物にとって、遠くを見るということが如何に重要な問題であったかがよく分かります。水中を身体を横たわらせて泳ぐ魚類から、地上に進出した私たちの祖先は、両生類、爬虫類、そして哺乳類へと進化の階段を昇るにつれて、頭を地上から少しずつ持ち上げるかのように形態を進化させています。水平性から垂直性へ、そうした形態の変化の意義は、より遠くを見る為であるのでしょう。そうした進化の系譜の頂きに居るのが、大きな頭蓋を垂直な背骨で支えている私たちヒトです。動物にとって最も大切な瞬間は、食べたり触れたりといった身体と物とが直に触れ合う瞬間であるわけですから、その瞬間に先立って、遠く

世界の幸福度-所得格差が幸福度を下げる?

 最近、幸福度に関する話題をニュースなどで耳にする機会が増えているかと思います。これは、ウェルビーイング(well-being)が社会科学の分野で重要なテーマとなってきているからです。ウェルビーイングとは、いわば幸福のこと。「あなたは自分の人生にどれくらい満足していますか?」あるいは「日々、どれくらい幸せを感じていますか?」といった問いで測定される幸福度を、所得や結婚の有無などの生活の客観的な側面で分析することにより、幸福の統計的な解明が進められています[1]。  私たちの幸福度は何によって左右されているのでしょうか?当然、幸せの定義は人それぞれであるわけですが、統計的な分析を試みれば、良くも悪くもお金(所得)は幸福にとって重要であるという事が分かります。図1は、世界各国の幸福度の平均値を縦軸、所得の平均値を横軸にプロットした結果です。各国の幸福度は2018年度の「世界幸福度報告書」[2]のデータを使用していて、0点から10点で測定されています。金銭的に豊かな国ほど(グラフの右側へ向かうほど)、幸福度が高い傾向がある事が確認できる。所得は幸福度を決める主要な要因の一つであるわけです。 図1(※1)  また、図2は全く同じデータを使用した結果ですが、所得の常用対数をとって図示した結果です。幸福度と対数変換された所得は線形関係である事が分ります。これはつまり、所得の少ない人にとっての1万円と、所得の多い人にとっての1万円では幸福度に与える影響は異なるが、所得が少ない人にとっても多い人にとっても、所得が2倍に増える事が幸福度に与える影響は等しい事を意味しています。ノーベル経済学賞の受賞者コンビであるカーネマンとディートンは、幸福度と所得のこの関係性をウェーバー・フェヒナーの法則から解釈しています[3]。視覚(明るさ)や聴覚(煩さ)、或いは嗅覚(匂い)など、ヒトの感覚量は刺激の絶対量ではなく、対数をとった刺激量に比例する事が知られています(ウェーバー・フェヒナーの法則:Y=k log(X)+C)。幸福度はその他の感覚と同様に主観的な量であるため、客観的な所得とこのような関係性にあるのでしょう。回帰式からは、所得が10倍になるについれて幸福度は約1.4の上昇が期待できることが分かります(2倍だと約0.5上昇)。 図2  幸福度の分析は何を明らか