最近、幸福度に関する話題をニュースなどで耳にする機会が増えているかと思います。これは、ウェルビーイング(well-being)が社会科学の分野で重要なテーマとなってきているからです。ウェルビーイングとは、いわば幸福のこと。「あなたは自分の人生にどれくらい満足していますか?」あるいは「日々、どれくらい幸せを感じていますか?」といった問いで測定される幸福度を、所得や結婚の有無などの生活の客観的な側面で分析することにより、幸福の統計的な解明が進められています[1]。
私たちの幸福度は何によって左右されているのでしょうか?当然、幸せの定義は人それぞれであるわけですが、統計的な分析を試みれば、良くも悪くもお金(所得)は幸福にとって重要であるという事が分かります。図1は、世界各国の幸福度の平均値を縦軸、所得の平均値を横軸にプロットした結果です。各国の幸福度は2018年度の「世界幸福度報告書」[2]のデータを使用していて、0点から10点で測定されています。金銭的に豊かな国ほど(グラフの右側へ向かうほど)、幸福度が高い傾向がある事が確認できる。所得は幸福度を決める主要な要因の一つであるわけです。
また、図2は全く同じデータを使用した結果ですが、所得の常用対数をとって図示した結果です。幸福度と対数変換された所得は線形関係である事が分ります。これはつまり、所得の少ない人にとっての1万円と、所得の多い人にとっての1万円では幸福度に与える影響は異なるが、所得が少ない人にとっても多い人にとっても、所得が2倍に増える事が幸福度に与える影響は等しい事を意味しています。ノーベル経済学賞の受賞者コンビであるカーネマンとディートンは、幸福度と所得のこの関係性をウェーバー・フェヒナーの法則から解釈しています[3]。視覚(明るさ)や聴覚(煩さ)、或いは嗅覚(匂い)など、ヒトの感覚量は刺激の絶対量ではなく、対数をとった刺激量に比例する事が知られています(ウェーバー・フェヒナーの法則:Y=k log(X)+C)。幸福度はその他の感覚と同様に主観的な量であるため、客観的な所得とこのような関係性にあるのでしょう。回帰式からは、所得が10倍になるについれて幸福度は約1.4の上昇が期待できることが分かります(2倍だと約0.5上昇)。
幸福度の分析は何を明らかにしてくれるのでしょうか?生活の客観的な側面のみでは扱うことの難しい、生活の質の認知的・経験的な側面を定量的に捉え直すことが可能になります。例えば、ヨーロッパ諸国の中でもフィンランド(1位)やノルウェー(2位)、デンマーク(3位)などの北欧諸国の幸福度は常に高いランクとなっています。国民全体の平均的所得では同じくらい豊かであるはずのアメリカのランキングは18位。日本の幸福度は54位と先進諸国の中でもかなり低く(2020年は62位)、金銭的な豊かさで見ると大差のないニュージーランド(8位)の幸福度に大きな差をつけられてしまっています。また、コスタリカのように貧しくても幸福度が高い国もある(13位)。定量化された幸せのこれら値の差は、生活の質の何かしらの重要な側面を現わしているような印象があるのではないでしょうか。例えば、コスタリカは1948年に軍隊を完全に廃止して、軍事予算を教育や医療などの福祉にあてている国ですが、そうした社会の在り方は高い幸福度とおそらく無関係ではないのでしょう。同じくらい金銭的に豊かな国どうしの幸福度の差はどういった要因から生じてくるのでしょうか?社会的な繋がりの強さや、政府の腐敗の少なさなど、様々な要因が幸福度に影響する事が明らかにされていますが[4]、所得格差もまた、幸福度を大きく左右する要因の一つです[5]。
金銭的に同じくらい豊かである国々どうしを比較するために、ここでは平均的な所得の多い国々(一人当たりGDPが35,000ドル以上)を対象に、幸福度と所得格差の関係性を見てみます。所得格差は、パリ・スール・オブ・エコノミクスが公表している所得上位1%の人たちがその国の所得全体を保有している割合のデータを使います。図3は、金銭的に豊かな国々を対象に、横軸に所得格差、縦軸に幸福度をプロットした結果です。所得格差が大きくなるほど(グラフの右側へ向かうほど)、幸福度が低下する傾向がある事が確認できます。また、より詳細な分析によれば[5]、所得格差が幸福度に与える影響は被検者の属性ごとその度合いは異なるようです。年齢では高齢者よりも若者、学歴では大卒よりも高卒の方が所得格差による幸福度の低減は大きくなります。
金銭的な格差はどうして、国民の幸福度を低減させるのでしょうか?様々なメカニズムが考えられますが、例えば、一握りの人たちの富の占有率が上昇すると、需要と供給の原理により、優れた物やサービスの価格が上昇していきます。そうなると、たとえ比較的裕福な中産階級であったとしても、私立学校や近隣の良い住宅などに手の届かない値段が付き始めることになる。富裕層を問題視しても意味がないといった意見を時々見聞きしますが、格差がもたらす様々な必然的な結果は、大半の人にとって幸せな事ではないはずです。
いずれの先進諸国においても、所得格差は戦後に着実な上昇を続けており、フランス、ドイツ、イギリスなどのヨーロッパでは今や、国内のお金持ち上位1割が国富の60%を占有している状況です。アメリカに至っては上位1割の富裕層が国富に占める割合は70%を越えており、下位5割(半数)の人たちが所有する富の総量は国富のわずか2%にすぎません[6]。図4は、日本の所得上位1割(10%)の人たちが国民の総所得に占める割合を経年変化で示した結果ですが、他の先進諸国と同様、所得格差は戦後に増大を続けています(富で見るとその傾向はより顕著でしょう)。ピケティが「21世紀の資本」で示したように[6]、資本は自律的に収斂していく歴史的事実があり、また富の格差は様々な社会的問題を引き起こしますが(例えば、保護主義的・国家主義的な反応など)、幸福度の分析にも格差の問題はよく現れています(図3)。
それにしても、同程度の金銭的な豊かさがある国の中でも日本の幸福度は低く(図1)、日本人としては気になるところです。日本の幸福度の低さは日本人の遠慮がちな回答の傾向にも依るものと推察されますが(日本人は他国に比べて自分の幸せを他人に明示しない傾向があるのかもしれません、島国で限られた資本を皆で活かして暮らしてきたからでしょうか)、そうした回答の傾向だけでは説明するのが難しいとの見解が一般的です[1]。結果を否定することなく、僕等が暮らす社会の事実の一つとして受け止めたいと思う。
◇参考文献
1.大石繁宏『幸福を科学する-心理学からわかったこと』(新曜社, 2009)
2.J.F. Helliwell, R. Layard & J.D. Sachs: World Happiness Report 2018
(https://worldhappiness.report/ed/2018/)
3.D. Kahneman & A. Deaton: High income improves evaluation of life but not emotional well-being. PNAS, 107(38), 16489-16493, 2008
4.J.F. Helliwell, H. Huang & A. Harris: International differences in the determinants of life satisfaction. Statistical Science and Interdisciplinary Research, New and Enduring Themes in Development Economics, 3-40, 2009
5.R.V. Burkhauser, J.E. De Neve, Powdthavee, N.: Top incomes and human well-being around the world. Journal of Economic Psychology, 62, 246-257.
6.トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房, 山形浩生他訳, 2014)
◇注釈(※)
1.各国の一人当たりのGDPは、World Bankの2018年のデータ
(https://data.worldbank.org/indicator/NY.GDP.PCAP.CD?end=2018&start=1960)
2.上位1パーセントが総所得に占める割合は、パリ・スール・オブ・エコノミクスのWTIDのデータを使用。2006年から2012年の7年間の平均値。
(https://wid.world/data/)
私たちの幸福度は何によって左右されているのでしょうか?当然、幸せの定義は人それぞれであるわけですが、統計的な分析を試みれば、良くも悪くもお金(所得)は幸福にとって重要であるという事が分かります。図1は、世界各国の幸福度の平均値を縦軸、所得の平均値を横軸にプロットした結果です。各国の幸福度は2018年度の「世界幸福度報告書」[2]のデータを使用していて、0点から10点で測定されています。金銭的に豊かな国ほど(グラフの右側へ向かうほど)、幸福度が高い傾向がある事が確認できる。所得は幸福度を決める主要な要因の一つであるわけです。
図1(※1)
また、図2は全く同じデータを使用した結果ですが、所得の常用対数をとって図示した結果です。幸福度と対数変換された所得は線形関係である事が分ります。これはつまり、所得の少ない人にとっての1万円と、所得の多い人にとっての1万円では幸福度に与える影響は異なるが、所得が少ない人にとっても多い人にとっても、所得が2倍に増える事が幸福度に与える影響は等しい事を意味しています。ノーベル経済学賞の受賞者コンビであるカーネマンとディートンは、幸福度と所得のこの関係性をウェーバー・フェヒナーの法則から解釈しています[3]。視覚(明るさ)や聴覚(煩さ)、或いは嗅覚(匂い)など、ヒトの感覚量は刺激の絶対量ではなく、対数をとった刺激量に比例する事が知られています(ウェーバー・フェヒナーの法則:Y=k log(X)+C)。幸福度はその他の感覚と同様に主観的な量であるため、客観的な所得とこのような関係性にあるのでしょう。回帰式からは、所得が10倍になるについれて幸福度は約1.4の上昇が期待できることが分かります(2倍だと約0.5上昇)。
図2
幸福度の分析は何を明らかにしてくれるのでしょうか?生活の客観的な側面のみでは扱うことの難しい、生活の質の認知的・経験的な側面を定量的に捉え直すことが可能になります。例えば、ヨーロッパ諸国の中でもフィンランド(1位)やノルウェー(2位)、デンマーク(3位)などの北欧諸国の幸福度は常に高いランクとなっています。国民全体の平均的所得では同じくらい豊かであるはずのアメリカのランキングは18位。日本の幸福度は54位と先進諸国の中でもかなり低く(2020年は62位)、金銭的な豊かさで見ると大差のないニュージーランド(8位)の幸福度に大きな差をつけられてしまっています。また、コスタリカのように貧しくても幸福度が高い国もある(13位)。定量化された幸せのこれら値の差は、生活の質の何かしらの重要な側面を現わしているような印象があるのではないでしょうか。例えば、コスタリカは1948年に軍隊を完全に廃止して、軍事予算を教育や医療などの福祉にあてている国ですが、そうした社会の在り方は高い幸福度とおそらく無関係ではないのでしょう。同じくらい金銭的に豊かな国どうしの幸福度の差はどういった要因から生じてくるのでしょうか?社会的な繋がりの強さや、政府の腐敗の少なさなど、様々な要因が幸福度に影響する事が明らかにされていますが[4]、所得格差もまた、幸福度を大きく左右する要因の一つです[5]。
金銭的に同じくらい豊かである国々どうしを比較するために、ここでは平均的な所得の多い国々(一人当たりGDPが35,000ドル以上)を対象に、幸福度と所得格差の関係性を見てみます。所得格差は、パリ・スール・オブ・エコノミクスが公表している所得上位1%の人たちがその国の所得全体を保有している割合のデータを使います。図3は、金銭的に豊かな国々を対象に、横軸に所得格差、縦軸に幸福度をプロットした結果です。所得格差が大きくなるほど(グラフの右側へ向かうほど)、幸福度が低下する傾向がある事が確認できます。また、より詳細な分析によれば[5]、所得格差が幸福度に与える影響は被検者の属性ごとその度合いは異なるようです。年齢では高齢者よりも若者、学歴では大卒よりも高卒の方が所得格差による幸福度の低減は大きくなります。
金銭的な格差はどうして、国民の幸福度を低減させるのでしょうか?様々なメカニズムが考えられますが、例えば、一握りの人たちの富の占有率が上昇すると、需要と供給の原理により、優れた物やサービスの価格が上昇していきます。そうなると、たとえ比較的裕福な中産階級であったとしても、私立学校や近隣の良い住宅などに手の届かない値段が付き始めることになる。富裕層を問題視しても意味がないといった意見を時々見聞きしますが、格差がもたらす様々な必然的な結果は、大半の人にとって幸せな事ではないはずです。
図3(※2)
いずれの先進諸国においても、所得格差は戦後に着実な上昇を続けており、フランス、ドイツ、イギリスなどのヨーロッパでは今や、国内のお金持ち上位1割が国富の60%を占有している状況です。アメリカに至っては上位1割の富裕層が国富に占める割合は70%を越えており、下位5割(半数)の人たちが所有する富の総量は国富のわずか2%にすぎません[6]。図4は、日本の所得上位1割(10%)の人たちが国民の総所得に占める割合を経年変化で示した結果ですが、他の先進諸国と同様、所得格差は戦後に増大を続けています(富で見るとその傾向はより顕著でしょう)。ピケティが「21世紀の資本」で示したように[6]、資本は自律的に収斂していく歴史的事実があり、また富の格差は様々な社会的問題を引き起こしますが(例えば、保護主義的・国家主義的な反応など)、幸福度の分析にも格差の問題はよく現れています(図3)。
図4(※2)
それにしても、同程度の金銭的な豊かさがある国の中でも日本の幸福度は低く(図1)、日本人としては気になるところです。日本の幸福度の低さは日本人の遠慮がちな回答の傾向にも依るものと推察されますが(日本人は他国に比べて自分の幸せを他人に明示しない傾向があるのかもしれません、島国で限られた資本を皆で活かして暮らしてきたからでしょうか)、そうした回答の傾向だけでは説明するのが難しいとの見解が一般的です[1]。結果を否定することなく、僕等が暮らす社会の事実の一つとして受け止めたいと思う。
◇参考文献
1.大石繁宏『幸福を科学する-心理学からわかったこと』(新曜社, 2009)
2.J.F. Helliwell, R. Layard & J.D. Sachs: World Happiness Report 2018
(https://worldhappiness.report/ed/2018/)
3.D. Kahneman & A. Deaton: High income improves evaluation of life but not emotional well-being. PNAS, 107(38), 16489-16493, 2008
4.J.F. Helliwell, H. Huang & A. Harris: International differences in the determinants of life satisfaction. Statistical Science and Interdisciplinary Research, New and Enduring Themes in Development Economics, 3-40, 2009
5.R.V. Burkhauser, J.E. De Neve, Powdthavee, N.: Top incomes and human well-being around the world. Journal of Economic Psychology, 62, 246-257.
6.トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房, 山形浩生他訳, 2014)
◇注釈(※)
1.各国の一人当たりのGDPは、World Bankの2018年のデータ
(https://data.worldbank.org/indicator/NY.GDP.PCAP.CD?end=2018&start=1960)
2.上位1パーセントが総所得に占める割合は、パリ・スール・オブ・エコノミクスのWTIDのデータを使用。2006年から2012年の7年間の平均値。
(https://wid.world/data/)
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