世界の自殺率と気候的気温(Global Suicide Rates and Climatic Temperature)という論文[1]を公開しました。各国の自殺率は経済的な要因等で変動するものの、どの国にも比較的安定した固有の値がある。デュルケムが社会学を確立する際に自殺の問題を取り上げたのも、自殺率が統計的に安定した現象であるためです[2]。各国の自殺率の大小を生み出す主な要因は、十分に理解されていません。金銭的には豊であっても自殺率の高い国もあり、例えば、幸福度ランキングでも上位を占める北欧諸国の自殺率は高く、社会的な問題として認識されています。一体何が、世界各国の自殺率に違いを生み出しているのでしょうか。厳しい気候が、一つの重大な要因である可能性を本論文では指摘しています。
図1は、各国の自殺率(人口10万人当たりの自殺者数)を縦軸、その国の年平均気温を横軸にプロットした結果です。自殺率は世界保健機構(WHO)が公開している、世界183ヵ国の数年分の値の平均値を使用しています。全体的な傾向として、各国の自殺率は年平均気温に対してU字型となり、自殺率と年平均気温に相関がある事が分かります。自殺率と年平均気温との相関は低温側の国々においてはより顕著であり、世界の高温側においても年平均気温が約25℃を超える国々で高い自殺率が観測されます。また、気候学的及び地理学的に特徴のある乾燥地帯や島国を除けば、自殺率と気候的気温の関係はより明確になる(図2)。
従来の研究では、世界の自殺率の差は主に社会経済的な要因と共に分析が進められてきました。ある特定の国の自殺率の経年的な変動は、経済危機などの社会経済的な要因である程度は説明が可能です。しかし、RehkopfとBuka[3]がレビューで明らかにしているように、自殺率と社会経済的要因との関係性は時系列よりも地域間の分析では不明瞭なものとなり、その空間的スケールを拡大していくほど、明確な関係性は観測されなくなる。図3は、各国の自殺率を縦軸、その国の一人当たりのGDPを横軸にプロットした結果です。各国の自殺率が一人当たりのGDPのみでは説明し難い現象である事が分ります。国家間の横断的分析において、自殺率と一人当たりGDPとの間に明確な関係性が観測されない事実は、ポジティブな精神面である幸福度や(「世界の幸福度」参照)、身体的な寿命が一人当たりのGDPと明確な正の相関がある事実とは対比的です(図4)。
各国の自殺率は何故、その国の年平均気温と相関があるのでしょうか。WHOは人間が快適で健康的に過ごせる(周囲)温度範囲を18℃~24℃と推奨していますが[4]、自殺率と年平均気温の関係性を見ると、年平均気温が概ねこの範囲内にある国々で自殺率が低い傾向がある事が見て取れます(図2)。当然、人体を取り巻く周囲温度と気候的な年平均気温が人体へ与える影響を同一視する事は出来ませんが、年平均気温は、その国で暮らす人々がどれだけ多くの時間を快適な温度範囲で過ごす事が可能であるかの目安にはなる。従って、年平均気温が快適な温度範囲に近い国々で自殺率が低くなるという事実は、気候的な気温が熱的ストレスを介して自殺率に影響を及ぼす可能性を示唆するものと解釈できます。
気候はそれ自体が単独で存在する要素ではなく、文化や思想など、その気候に抱かれた地域の多様な社会的要因と深く関連しています。和辻哲郎が『風土-人間学的考察』で論じた事です[6]。自殺率と気温の関係性も、熱的ストレスの問題に留まらない、より複雑な現象である可能性がある。とは言え、データを見るに気候はそれ自体で社会に対して甚大な影響を及ぼす要素でもあるようです。気候は社会の大事なインフラの一つであると言えるのでしょう。また、建築は、気候と人間の関係を直接的に調整する役割を担うわけですから、これを供給する社会制度を含めて、気候が関わる社会の問題に果たす役割は小さくないと考えられます。
最後に、あくまでもこれは所感ですが、かつて共産主義という理想を掲げた旧ソ連や、現代において穏当な社会主義的政策を推し進める北欧諸国が、いずれも厳しい気候に抱かれた国々であるという事実は、単なる偶然ではないのかもしれない。
◇ 参考文献
[1] Y. Arima & H. Kikumoto (2020) Global suicide rates and climatic temperature. https://doi.org/10.31235/osf.io/k7rmz
[2] デュルケーム『自殺論』(中央公論社, 宮島喬訳, 1985)
[3] D.H. Rehkopf & S.L. Buka (2006) The association between suicide and the socio-economic characteristics of geographical area: A systematic review. Psychological Medicine, 36, 145-157.
[4] World Health Organization "Housing impacts health: New WHO guidelines on housing and health guidelines" (2018) https://www.who.int/publications-detail/who-housing-and-health-guidelines
[5] Y. Kim, et al. (2019) Suicide and ambient temperature: A multi-country multi-city study. Environmental Health Perspectives, 127(11), 117007-1–117007-10.
[6] 和辻哲郎『風土-人間学的考察』(岩波書店, 1979)
◇ 注釈(※)
※1 各国の自殺率はWHOによる2000,2005,2010,2015,2016年のデータの平均値、各国の年平均気温はMeteonormより2000–2009年のデータの平均値を使用。
※2一人当たりGDPは、the World Bankによる2000–2016年のデータを使用。
※3健康寿命はWHOのthe Global Health Observatoryによる2000,2005,2010,2015,2016年のデータの平均値を使用。一人当たりGDPはthe World Bankによる2000, 2005, 2010, 2015, 2016年のデータの平均値を使用。
図1は、各国の自殺率(人口10万人当たりの自殺者数)を縦軸、その国の年平均気温を横軸にプロットした結果です。自殺率は世界保健機構(WHO)が公開している、世界183ヵ国の数年分の値の平均値を使用しています。全体的な傾向として、各国の自殺率は年平均気温に対してU字型となり、自殺率と年平均気温に相関がある事が分かります。自殺率と年平均気温との相関は低温側の国々においてはより顕著であり、世界の高温側においても年平均気温が約25℃を超える国々で高い自殺率が観測されます。また、気候学的及び地理学的に特徴のある乾燥地帯や島国を除けば、自殺率と気候的気温の関係はより明確になる(図2)。
図1(※1)
図2
従来の研究では、世界の自殺率の差は主に社会経済的な要因と共に分析が進められてきました。ある特定の国の自殺率の経年的な変動は、経済危機などの社会経済的な要因である程度は説明が可能です。しかし、RehkopfとBuka[3]がレビューで明らかにしているように、自殺率と社会経済的要因との関係性は時系列よりも地域間の分析では不明瞭なものとなり、その空間的スケールを拡大していくほど、明確な関係性は観測されなくなる。図3は、各国の自殺率を縦軸、その国の一人当たりのGDPを横軸にプロットした結果です。各国の自殺率が一人当たりのGDPのみでは説明し難い現象である事が分ります。国家間の横断的分析において、自殺率と一人当たりGDPとの間に明確な関係性が観測されない事実は、ポジティブな精神面である幸福度や(「世界の幸福度」参照)、身体的な寿命が一人当たりのGDPと明確な正の相関がある事実とは対比的です(図4)。
図3(※2)
図4(※3)
各国の自殺率は何故、その国の年平均気温と相関があるのでしょうか。WHOは人間が快適で健康的に過ごせる(周囲)温度範囲を18℃~24℃と推奨していますが[4]、自殺率と年平均気温の関係性を見ると、年平均気温が概ねこの範囲内にある国々で自殺率が低い傾向がある事が見て取れます(図2)。当然、人体を取り巻く周囲温度と気候的な年平均気温が人体へ与える影響を同一視する事は出来ませんが、年平均気温は、その国で暮らす人々がどれだけ多くの時間を快適な温度範囲で過ごす事が可能であるかの目安にはなる。従って、年平均気温が快適な温度範囲に近い国々で自殺率が低くなるという事実は、気候的な気温が熱的ストレスを介して自殺率に影響を及ぼす可能性を示唆するものと解釈できます。
気候はそれ自体が単独で存在する要素ではなく、文化や思想など、その気候に抱かれた地域の多様な社会的要因と深く関連しています。和辻哲郎が『風土-人間学的考察』で論じた事です[6]。自殺率と気温の関係性も、熱的ストレスの問題に留まらない、より複雑な現象である可能性がある。とは言え、データを見るに気候はそれ自体で社会に対して甚大な影響を及ぼす要素でもあるようです。気候は社会の大事なインフラの一つであると言えるのでしょう。また、建築は、気候と人間の関係を直接的に調整する役割を担うわけですから、これを供給する社会制度を含めて、気候が関わる社会の問題に果たす役割は小さくないと考えられます。
最後に、あくまでもこれは所感ですが、かつて共産主義という理想を掲げた旧ソ連や、現代において穏当な社会主義的政策を推し進める北欧諸国が、いずれも厳しい気候に抱かれた国々であるという事実は、単なる偶然ではないのかもしれない。
◇ 参考文献
[1] Y. Arima & H. Kikumoto (2020) Global suicide rates and climatic temperature. https://doi.org/10.31235/osf.io/k7rmz
[2] デュルケーム『自殺論』(中央公論社, 宮島喬訳, 1985)
[3] D.H. Rehkopf & S.L. Buka (2006) The association between suicide and the socio-economic characteristics of geographical area: A systematic review. Psychological Medicine, 36, 145-157.
[4] World Health Organization "Housing impacts health: New WHO guidelines on housing and health guidelines" (2018) https://www.who.int/publications-detail/who-housing-and-health-guidelines
[5] Y. Kim, et al. (2019) Suicide and ambient temperature: A multi-country multi-city study. Environmental Health Perspectives, 127(11), 117007-1–117007-10.
[6] 和辻哲郎『風土-人間学的考察』(岩波書店, 1979)
◇ 注釈(※)
※1 各国の自殺率はWHOによる2000,2005,2010,2015,2016年のデータの平均値、各国の年平均気温はMeteonormより2000–2009年のデータの平均値を使用。
※2一人当たりGDPは、the World Bankによる2000–2016年のデータを使用。
※3健康寿命はWHOのthe Global Health Observatoryによる2000,2005,2010,2015,2016年のデータの平均値を使用。一人当たりGDPはthe World Bankによる2000, 2005, 2010, 2015, 2016年のデータの平均値を使用。
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